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Takumicsクラフツマンシップ

熟練クラフトマンとメンズレディースを超えた
レトロ スタンダードデザイン。
 
革業界の仕事に就いてから国内外のたくさんの革を長年見て

きました。その中で選んだ革は西欧のイタリア製ベルギー製

のレザーと日本製の藍染の革でした。

 

イタリアの革は特に環境問題に対して現地企業が一緒になって

協会を作り、革をなめしていく際に出る廃水や熱の再利用や

周囲の環境に配慮した姿勢と高い品質が決め手、

ルネサンスで培われた色のセンスや原皮のランクの良さも

選んだ一つの理由です。

 

ベルギー製レザーは皆様ご存じのフランスの某ブランドでも

お馴染みのヌメ革。

キメの細かい艶やかな生成り色は経年変化とともに褐色になる

過程を楽しむ事のできる数少ない革です。

日本産藍染革は実際に工場に出向いて工程を確認しました。

いかに藍を使って染めるの事が難しいかを知りました。

1回では染まらない藍、10回以上も染めを経た藍の透き通る

美しさに惹かれて藍染革を製品の素材に選びました。

副資材としての金具はできる限り真鍮の地金を使ったもの、

鈍色の金具の美しさはアンティーク家具を思い起こさせます。

ファスナーは世界有数のメゾンブランドでも使われている

日本製のファスナーを使い機能性を持ちつつ金属の美しさが

製品をよりいっそう際立たせています。

時代の流れの速い世の中でいつの時代にも合うクラシカルな

要素を素材と調和させ推敲してデザインをしています。

これをレトロスタンダードと定義しています。

製品には忘れてはならない実用性と失われがちなデザインの

美しさを徹底し、構造設計もオリジナルデザインしています。

製作は我々熟練職人が丁寧な手作業で製作しています。

 

後継者が少なく高齢化の進む革製品Made in Japanの業界で

次の世代に先人達が遺した技術を受け継ぎ磨きをかけ、

追い上げて来る、いやモノによっては日本以上の

海外製品に負けないように日々努力をしています。

 
Takumicsのエイジングレザー
じぶんのいろ、最後仕上げは持ち主で。

 

Takumicsでは多くの流通している革の中から形になった

ときの表情を重視して選んでいます。

スムースレザーのタンニンなめしの革は時間とともに

革色の変化=エイジングとして楽しめます。

染料は紫外線などで色が深く変わってゆきます。

届いたばかりの革は確かに綺麗なのですが、自分の歴史として

革を生活の中で自分色に染めてください。

シボ押しのクロムなめしの革はしなやかさを活かし

凹凸の表情とマットな色の表現を楽しんでお使いください。

Takumicsブランドの革は革ひとつひとつに個性として

表情や模様があります。

人と同じで牛にも個性があります、動植物の命をいただいて

作られた大切な革をありがたく生かして価値をつけて

あげるのも職人次第だと思っています。

 
Made in JapanのTakumicsに到るまで
監督ではなく選手として

 

僭越ながら、私がこの仕事をはじめた想いのいきさつを長いですが、もしも読みたい方は読んでみてください。

さしてやりたいこともなく凡蔵大学生だった私。

外国語学部フランス語、決して真面目に授業を受けるわけ

でもなく、卒業間近就職していく同級生を横目に当時小説

流行った沢木耕太郎の深夜特急に影響されてそれに

はまっていた。

ちょうどバイト先の先輩が南米大陸を単独で自転車横断した

話も手伝ってバックパックでインドへ。

インドになにかの答えがあると勝手に思い込み、フィルム

一眼レフのNikon2台を抱えアテのないオープンチケットを

持ってバックパック一人旅へと行ったのが今思うときっかけ

なのだろうか。

現地で必死で生きる人々の姿、足を切られた子供、ガンジス

川ほとりで焼かれる人の亡骸を見てやりたいことを見つけて

死にたいな、と。

帰国後しばらくして手先だけは器用だったので何かの職人に

なりたいと思った。

当時学生時代から住んでいた京都で革製品を扱う会社に面接に行く。自分で材料を買い手縫いした財布を持っていき、生意気にも社長面接の際に独立するつもりだ、と言った。そんなに人間をよく雇ってくれたものだ。

縫製職人見習いとして入社し、毎日ミシンに向き合いつつ、ペンカッターを持って細かい文字を型どった革を切り、細かいデザインの革をミシンで縫いつけ日に日に革とミシン作業の楽しさに没頭する。

年月を経て革製品やロゴのデザイン、生産管理を兼任し、しばらくした頃、会社でベトナム工場の立ち上げの話が持ち上がり、何故か社長に指名される。

ベトナムの片田舎に日本人ただ一人で工場長として赴任。

何もないところから工場を立ち上げるのは容易ではなく、たくさんの困難に遭ったが、今ではそれも笑い話。

現地ではやることが多く通訳もいないのでベトナム語を勉強し、のんびりできないので歩く速さも速くなる、雇った腕のよい熟練職人と喧嘩もし、彼に椅子も投げつけられた。

うまくいかない時、スコールの夜の真っ暗な停電中、充電が切れそうなノートPCから流れる八代亜紀の雨の慕情を聴いて日本を恋しく思ったり。

年月を経て現地の工員さん達と昼間に他愛もない話を慣れないベトナム語を使ってするのもだんだん楽しくなってきた。

楽しみな休日、当時は日曜日のみだったが必ずホーチミンのバックパック街に出かけて安宿に泊まったものだ。

東京で自分の力を試したくなり2年間の駐在後転職し上京。

東京はエース級の人たちが集まる、転職した会社はまさにそれ、井の中の蛙だった。

毎日の事務作業と生産管理で朝から終電間近まで働いた。

出張で行くベトナム、懐かしい生暖かい空気、ミシンを踏む音を聞くとやはり自分は海外工場の監督でなく日本でMade in Japanの、ものつくりをする選手になりたいとより強く思うようになる。

その後転職し、もう一度職人に戻って、皇室関連の仕事をした老練な先輩職人たちから伝統の技術を学ぶ。

そして旅行で行ったパリの寒い冬空、左ハンドルのMT仕様のFIATのレンタカーを借りて慣れない道を運転した初夏のイタリア。ラベンダーの繁る田舎の風景のオルヴィエート、

チビタ、フィレンツェ。

ヨーロッパの色彩の繊細さと鮮やかさがますます自分の中のもの作りをしたい気持ちを高めてくれた。そろそろ、かな、と会社を辞めた。

仕事を媒介に沢山の事を学び色々な人に出会える。

最初は辛かったベトナムも、毎日残業した東京の会社でのことも、今では自分を作ってくれた栄養となった。

今でも先輩方や前社の社長にも応援していただき、新しい技術や知識を欲し続け2012年3月に独立し、今に至るのがTakumicsのちいさな歴史。

まいにち、まいにち製品に向き合い手しごととして革の製品を企画デザイン製作しています。

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